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2024/03/19(Tue) 17:16:35
皆さん今日がどういう日かご存知ですか?
今日は“母の日”という“母親に感謝を”っ
という日だと、誰に聞いても答えてくれるだ
ろうと思います。

けど本当の母の日とは?
由来とは?

起源となった親子の報われない思いが在
ります。
長くなりますが、是非、読んで欲しいです。








8→1

現在の、母の日は、お母さんに感謝する日となってますが、これは提唱者(アンナ(Anna Maria Reeves Jarvis))の意図と異なっているのをご存知でしょうか。

実は、母親への感謝だけではなく、平和を願う母親たちの社会運動を記念したものとしてスタートし、それが政治やビジネスの力で歪められてしまったというのです。

なぜカーネーションなのか、それはアンナが母ジャービスの好きだった白いカーネーションを、母の命日に開いた追悼式で参加者一人ひとりに手渡した、というのが始まりです。



提唱者アンナの母は優れた社会運動家でした。
社会運動家:ミセス・ジャービス(Ann Marie Reeves Jarvis)
1858年に「Mothers' Day Work Club」を結成、病気で苦しんでいる人を助けるために募金活動をしたり、病気予防のための食品検査や公衆衛生の活動をするなど、社会運動家として活躍していました。

南北戦争(1861年~65年)が開戦すると、中立を宣言して南北双方の兵士を看病し、互いの敵意をなくそうと「Mother's Friendship Day」を企画し、大混乱を招くだろうと誰もが思っていた南北双方の兵士や地域の人々を招いたこのイベントを大成功させるなど、平和を願って献身的に働きました。

彼女自身、戦争や病気で8人の子供を失っているのですが、母としての愛情を、残された自分の子供(娘2人(内一人は盲目))だけでなく全ての人々に注いだのです。

女性が社会的弱者だった当時のこうした母親としての社会活動は、大変意義のあるものであり、社会改革に大きく貢献しています。

女性は社会的弱者といわれる一方、19世紀から、アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をし、奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。
母親と社会正義は、大きな結びつきが在るのです。
その後数十年の間、毎年6月2日の“平和の為の母の日”には、社会運動として色々なイベントが各地で行われてきました。

こうした献身的なミセス・ジャービスの活動と時代の流れもあり、アンナの開いた母、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。
アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて、祝日として『母の日』をつくることを求め続けます。
そして祈りは通じました。

母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け、1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。
1914年には、とうとう国の祝日として認められました。(日本では1923年から)



ところが、こうした素晴らしい平和を思う理念が、消費文化の中で歪められていきます。男性中心の政治的、商業的思惑(当時の『Florists' Review』という花業界の雑誌に"This was a holiday that could be exploited.(この祝日は利用できる)」と書かれたそうです。)によって、町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう」という広告があふれたのでした。
“平和を祈る”はずの母の日が、アンナの気持ちとは裏腹に“家族のために尽くしている母にプレゼント(カーネーション)を贈る日”となってしまいます。

そしてついに、ある「事件」が起こるのです。
1923年の母の日フェスティバル。アンナはそこで母の大好きだった白いカーネーションは1本1ドルで売られていたそうです。(当時の物価からすると驚愕の高値なんだそうですが、イマで考えるとそんなものかっとも思います。(母の日は花を、カーネーションをっという“イベント”が既に頭に入っているからなのでしょうか‥。
アンナはそれを見て激怒し、「貪欲のために母の日を侮辱している」と、とうとう行事差し止めの裁判を起こしたのです。


しかしアンナは裁判に負けてしまいます。事件以来、彼女は世間から皮肉屋として白い目で見られるようになってしまいました。『Florists' Review』誌は裁判後、"Miss Jarvis was completely squelched"(ミス・ジャービス(アンナのこと)を完全にやりこめた)と勝利宣言をし、この後『母の日』の商業化がますます加速していったのはイマの日本を見れば一目瞭然だと思います。



別に母親に感謝するなと書いているわけではないです。自分を産んで捨てていたとしても、産まれて、生きれて、此の時代を生きてモノを考え創っている。
産んでくれた母親に生き物が感謝するのは自然の摂理であってほしい。けど、本来の起源に立ち返り平和を祈っても良いのではないか?そう思うのです。
世界を見れば、現在でも1980年代から、母の日に核廃絶を訴えてイベントをするなどをする平和活動団体もあります。

数年前に“流行った”MONGOL800さんの楽曲に在る歌詞に考えさせられ、一緒に地元の海をキレイにしよう!っと一緒にイベントをした人たちはイマ、社会に出て自分が生きるのに精一杯で、街に落ちているゴミや周りの喧騒、小さな争いや小さな自然破壊に構う余裕が無いと嘆いていました。

数年前にCoccoが行った“ゴミゼロ大作戦”に参加した人たちは、自然と共に生きることの大事さを思い、山に木を植えてみよう、海や川でゴミを拾ってみよう、駅前や町のゴミを拾ってみようっと、家族で行っています。少しキレイになった、こんな汚い町だけど、10年前より大好きになったと、幸せを感じてると言っていました。

私たちに、日本に、人に、先人に出来たことは出来ないのでしょうか?そんな事はないと思います。では何がいけないんだろうか。国?地域?人?

大きく考えず、先ず家族を、大切な人、モノ、動物なんかを思う気持ちを考えてみませんか?
普段無関心な事に、目を向けてみませんか?
平和を思う、自分の家族だけでなくそれぞれの人にある家族を思い、敵味方無く人を愛すること、それに伴う“癒したい”っと思い生まれた社会活動、そして、母の日。
もしかしたら、その一欠けらしか私たちには理解出来ないかもしれない。それでも、今日この日、大切な人に感謝する気持ちの端に、平和を、日本を、世界を思う気持ちが芽生えることは、難しいことではないのかもしれない。





晩年のアンナがこんなことを言っています。
「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによって、お母さんの恩に報いたかった」と。












  私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。

  私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れるために、戦争に連れて行かれるべきではない。

  私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。

  自分たちの子供が、相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごすほどに優しくなってしまうのでしょうか。



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2008/05/11(Sun) 22:07:28
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